Fortitude
『届かなくていいからずっと見ていたい、っていう気持ちはどういうもの?』
中程で挟んでいた、薄桃色の栞をそっと引き抜く。
後書きまで読んでしまった本を閉じて顔を上げれば、
実際距離にして十歩ほどの位置にある机と、そしてその端に堆く積み上げられた紙の束が目に入る。
白と赤が基調となった服を纏っているその机の主は朝からそれと強制的に対峙させられているが、一向に減る気配はない。
「………邪魔になっちゃうから、帰るね?」
本日何度目かになるその言葉は、すぐ終わるから、という優しい引き止めの言葉により消えてしまう。
そこで本当に相手の状態を思いやれる人間ならば即座に帰るべきなのだろうけれど、
せっかく言って貰ったのにそれを裏切る事なんて出来るわけもなくて図々しくずるずると長居をしてしまい、
結果として自分の存在が彼の邪魔をしているという実に皮肉と言える作用を齎し今に至る。
こんな事なら会いたいなんて浅ましい事など考えなければよかったのに。
再度言ってみようと口を開きかけたら、お茶の時間だからと彼の相棒と部下が差し入れに来て。
それまで愚痴一つ言わずに仕事をしていた彼だったけれど、やはりお疲れのようで、
少々のやり取りがあっただけで、苦戦していた敵は半分ほどに減らして貰える事になり。
「やった、愛してる、クルガン!」
目を輝かせて二人に抱きついている彼に、気付かれないように自分に溜息。
その言葉に値するような事が出来ない自分が貰えるわけはないんだと、図々しい自分に。
少しばかり落ち込んで黙ってみたもののそれも暫くすると手持ち無沙汰になってしまって、
沈黙を埋めようとどうにか話題の種を探し出せたので、
本来友人というよりは遥かに近く親友と呼ぶには遠い魔法使いに聞くはずだった謎掛けを1つ。
「……ねえ、シード?」
「何?」
「夕日がどうして赤いのか、知ってる?」
小さな子供が母親に尋ねているような口調で問えば、ふわりとした微笑みが返ってきた。
「光の散乱現象のせいだろ?」
「うん」
空気は主に窒素や酸素分子であり、これらの分子は自由に振動して動いている。
これに光が当たると、様々な方向に光が放射され、これを散乱と呼ぶ。
日の出と日の入りの時は昼間に比べて、太陽光線は人に届くまで大気の層をより長く突き抜けなければならない。
故に、散乱しやすい青色の波長は人に届くまでに拡散してしまい、
より直進性の高い赤色の波長がより多く目に入ってくるので赤く見えるというわけである。
「理論的に言えばそうなんだけど。僕は、ちょっと違うと思う」
「例えば?」
「笑わない?」
「うん」
「夕日が赤いのはね、お日さまがお月さまの事をすきだからなんだよ」
約束通り彼は笑わないでいてくれたけれど、随分と驚いたようで。
「何で?」
「だって、満ち欠けがあるから正確にはいつも、じゃないけど、お日さまが沈んだ後に月が出るでしょ?」
「うん」
「だからお日さまは、もうすぐお月さまに会えると思うから赤くなるんだよ」
「なるほどね」
「でもね。お月さまはその事に気がついてないんだよ」
「どうして?」
「だって、お月さまはお日さまが出てくる前に帰っちゃうでしょう?」
「だから知らないんだ?」
「そうなの。お日さまはずうっと片思いしてて、一生懸命すきですって頑張ってるのに」
太陽はどんな時でも月の事を照らし続ける。
満ち欠けの加減で必ずしもそうなるわけではないけれど、
夜の帳が落ちた頃に最も綺麗な姿を見せる月の、その姿を直視する事は叶わないまま。
「でも、太陽も裏を返せばそうなんじゃないか?」
「え?」
「確かに夜に月が出る事もあるけど、昼に見える事だってあるだろ?」
「うん」
「その時、太陽は月の事に気付いてるのかな」
太陽自身が持つその明かりがあまりに眩し過ぎて、
昼間に姿を見せる時の月はとても影が薄くなってしまう。
平面上に置き換えれば同じ空間にいてもその距離は随分遠く。
「だからお月さまも一緒って事?」
「じゃないかな」
だったら、お日さまはかなり、恵まれてるのかもしれない。
肝心な「本人」が気付いてはいないからかなりその努力は哀れな無駄な物のように映ってしまうけれど。
「ちゃんと教えてあげられたらいいのにね」
「そうだね」
まるで自分みたいだ、
決定的な事を自分から言えない代わりにずっと相手を見ている事で遠回しに気持ちを伝えようとするなんて。
相手に気付いて貰えなくても近くにいようとするなんて。
尤も、そんな彼らと自分を同じもののように考えるのは随分と図々しい事だけれど。
「そろそろ、帰るね」
夕日が赤く染まり始めた頃、机の上の最後の束がなくなるのを見計らって声を掛けた。
思えば1日中居座ってしまったのではないだろうか。
やっぱり途中で帰るべきだったと後悔しながら本棚に本を返してしまうと、
窓際の机で頑張っている彼を1度だけ振り返った。
「長居して邪魔しちゃってごめんね。お仕事頑張ってね」
ほんの挨拶だったから返事が貰える事を期待してたわけじゃなかったけど。
彼はわざわざ顔を上げて、窓から差し込む赤い光を纏って微笑んだ。
「おう、またな」
不意にその時、太陽の気持ちが輪郭だけわかったような気がした。
届かなくても構わないからずっと見ていたいという、言葉にならずとも自分も漠然と持っていた気持ちが。
なるほど、直接気持ちを言う事が出来なくてもきっと幸せなんだろうな。
反則だ、あんな綺麗な所を見せられたら。それもあるから、だから、真っ赤に染まるんでしょう?
初めて、夕日が赤く染まる事に感謝した。
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謎掛けを魔法使いではなくシードさんに。
深読みしてもわかりづらい中途半端なもので自分でも困ったり(汗)
遅くなりましたが2周年おめでとうございますvv
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